企業弁護士として活躍する真理子のもとに、幼くして別れた父が病気だという知らせが届く。
かつて住んでいた家を訪ねてみると、そこはホームレス支援団体の拠点となっていた。
炊き出しに集まる人たち、保護されている人たち。
思ってもみなかった父の生き方に戸惑いをかくせない真理子。
そこに現れた一人の男。
…真理子の抵抗むなしく、どうしようもなくめんどくさいことになっていく…。
しあわせは、あなたを こまらせて ちかづいてくる…。
充電器のコード、ケースに入ったクリップ、針金のハンガー、
急いでいる時に限って絡まる。
人生も…。からまる法則があるのか?
かばんに入れた携帯の充電器のコード、ケースの中に入れたクリップ、針金のハンガーの束、急いでいる時に限って絡まる…。ムッとして解こうとする。強引に解こうとすればするほど、はまってゆく。「からまる法則があるのだ!」と私は冗談でよく言っていた。
生きているといろいろなことがある。意図していなくても、いろいろな人や出来事が絡んでくる。何故こんな思いをしなければならないのか…と、時に思う。
でも後になってみると、その出来事があったからこそ、新たな価値観を得ることが出来たと感じる。こんなことを感じたのは最近のことである。
エゴを捨てて絡まりの中に身体を預けてみる。そんな時、ふっと、絡まりは解けるかもしれない。そして、思わぬ感情が訪れる。それは、自然の中に、身体を預けたような安心感…。そう、「からまる」ことは、大切なことなのかもしれない。
やはり人間は1人では生きてゆくことが出来ないのだなーと深く感じ、自分を高め生かされて今日以降を生きてゆくのか、考え方、気持ちの持ち方で人として歩んで行きたいと思いました。教わる師が自分には必要です。“観劇”もその一部ですね。
親子でも分かり合うのは難しい。他人と他人でも絆は作れる。目をそむけ避けていては発展は望めない。まず一歩進むことが大事だなと思いました。そういうことを深く考えさせてくれる舞台でした。最後、真理子さんが「お手伝いさせて」と言っていましたが、一方の主張を通すのではなく、お互い歩みよるその為に、からまり関わりしていく。人は1人では生きられないからからまっていくのですね。
出演者皆さんの表情が豊かで、みていて気持ちよく伝わってきました。親子の絆、血のつながりはないけれど、人と人との関わりの大切さを改めて感じる事の出来た作品でした。役者さんとしてだけでなく、裏方さんとして片付けの際に走り回っていて、同じ舞台で一緒に搬出できよい思い出になりました。
人間は色々な所で絡まっているのだとこの作品を観て思いました。初めの方は弓田さんと真理子さんの関係がぎくしゃくしていて言葉自体強く相入れない部分がありましたが、弓田さんの人間を愛する心が娘にも分かり、最後はお互い分かり合うという素晴らしい作品となり、ホロリとしました。
二〇一二年から連続上演してきた銅鑼創立四十周年記念公演のラストを飾った舞台で、ホームレス、リストラ、若者の貧困化など現代の社会問題を真正面から扱った作品です。ホームレスを支援する人々とそれを取り巻く人たちの人情劇となっており、感情をぶつけ合うことが嫌で、なるべくドライに生きようとしている今の日本の社会が措かれていて、人として親子として関わり会うことの大切さを教えてくれた良質なお芝居でした。タイトルの「からまる法則」というのは、支援活動にかかわる若者やら、活動に反対する近所の住民など、様々な人間がぶつかりあい、からみあい、つながっていく、というところからきています。リアリズムにのっとった演出で、俳優の演技からは家族の関係が崩れてしまった苦しみがストレートに伝わってきました。
二時間くらいの上演でしたが、かなり引き込まれて見られました。テーマは、ホームレスの問題だけでなく、真理子(永井沙織)と父(佐藤文雄)、リストラされた元システムエンジニアの男性と事故を起こした息子、「かけはし」に保護された老人が昔別れた娘を思い出すなど家族の問題、それにホームレスの原因のひとつでもある企業のリストラ、ホームレス支援をめぐっての支援派と反対派のそれぞれの思いなど、いろんなレベルの問題を取り上げ、それぞれが心の傷を抱えながら、日々生活していかなければならない厳しい現状を浮き彫りにしています。「かけはし」の炊き出しが都内で一番おいしいと言われる理由について、父の弓田は「自分が食べると思って作るからだ」と言います。つまり、人を助けるにも自分の身にひきつけて考える必要があり、人はからまろうとする努力をしなければ、社会はよくならないのだということを教えてくれる舞台でした。 「悲劇喜劇」二〇一三年5月号より