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むし暑い、陪審室という名の小部屋。これから十二人の男たちは、ひとつの決定を選びとらねばならない。
一人の貧しい少年の父親殺しという容疑に、有罪(=死刑)の宣告を与えるか、無罪の評決を提出するか、その中間はない。
彼らはこれまで、六日間の裁判の過程に立ち会ってきた。少年への容疑は動かし難いものに思えていた。予備投票が行われる。有罪十一票、無罪一票。無罪票を投じた陪審員が発言する。
「もっと時間をかけましょう。もし、我々が間違っていたらどうします?」
―議論は白熱しはじめた。 動きようもないと思われていた「事実」が揺らぎだす。十二人の「怒れる」状態が現出されていく。ここで問われているのは、少年ではなくて、彼らなのかもしれない…。
ニューヨーク地方裁判所で殺人事件の陪審員を初めて務めたローズは、ほかの誰とも同じようにこのお役目が回ってきた不運をぼやき、しぶしぶ裁判所に向かった。だが、法廷に入ったとたん、被告人の運命のサイを握った立場を認識し、真剣そのものの陪審員に一変したと書いている。そして、「しつこい奴だ」と周囲に疎まれながら、あらゆる疑問点を検証していった。
そう、陪審員八号は、ローズ自身がモデルなのである。この公判中に、ローズはひらめいた。陪審室のなかの出来事を知るのは当の陪審員十二人しかいない。この密室に限定して芝居を書いたらきっと面白いものになる。そしてこの密室の論議、市民の良識に委ねる姿勢こそ、民主主義の基本であり、アメリカという多種多様な人種と価値観を抱え込んだ国家の誇るべき真価であることを訴えたい……。(中略)
訳者はかねがね「自伝的」なるものは想像力の弱さにつながる弱点ではないかと感じていた。しかし、数多くのテレビ・映画脚本をおいて、自身の体験から生まれた例外的な『十二人の怒れる男たち』が作家の代表作として今に残ってきた事実を前に改めて思う。自分を揺さぶった体験と実感を高い体温のまま巧みな構成で編んでいさえすれば、作品は観る側に大きな迫力を持って迫ってくるのだと。